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8.92024
あの道端の石碑『庚申』とは何か?
田舎道を走っていると、
突如として現れる『庚申』と彫られた あの謎の石碑 ― 。
オウミ技研、ハード部です。
何年も前から気になっているので、今回、思い切って投稿記事にさせてもらいましたが、
一体誰が何のために建立した石碑なのでしょうか?
まず、自らの目撃経験を整理しますと ・・・
この謎の石碑、形、大きさ、古めかしさについては、様々なバージョンが存在するようです。
表面に彫られた文字も「庚申」だけでなく、「庚申塔」というケースもまれに見られます。
目撃頻度としては、田舎に行けば、必ず1、2個は見かけるようなレベルでしょうか。
目撃分布的には、群馬県内だけでなく、関東甲信越を広くカバーしていることは間違いなさそうで、
全国的なのかは全くの不明です。
自らの情報はここまでで 。。。
これ以上のことは、設置ポイント付近におられる長老のような方に話を伺うのが間違ない方法なのでしょうが、
ここは、一旦、ネットでの情報を頼りにしてみましょう!
先ず、『庚申』とは、『こうしん/かのえさる』と読み、
この石碑の呼び名としては、一般的に『庚申塔(こうしんとう)』と言われるそうで、
中国より伝来した道教に由来する『庚申信仰』に基づいて建てられた石碑ということになります。
【庚申信仰とは】
『庚申(かのえさる)』は、『干支(十干十二支)』の57番目であって、
それを日に当てはめると60日に一度巡ってきます。
(私たちが通常『干支』と言っているのは、十干十二支の十二支のことで、
本来は、十干と十二支を組み合わせて60通りになります)
この夜に眠ってしまうと、人の体内に潜む三尸(さんし)という虫が天に昇り、
天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、
罪状によっては寿命が縮まると言われていました。
そのため、この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。
日本では既に10世紀ごろには盛んだったようで、この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、
江戸時代には全国の農村などで大流行しました。
これを3年18回続けた記念に建立したのが『庚申塔』ということになります。
これで、長年続いた胸のつかえがやっと取れた感じになりましたが、
みなさんには、あまりおもしろいオチにはなりませんでした、失礼しました!
最後に、『疑問を余すところなく追究していく』
ハード部では、日常の業務の中でも、そのように取り組んでいる次第であります。
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