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5.282021
群馬県太田市 歴史探訪シリーズ1
みなさん、こんにちは!!
ハード部です。
今回の投稿のテーマは、
>>『群馬県太田市 歴史探訪シリーズ1』<<
でお送りします。
我が社、オウミ技研は、豊かな自然と歴史・文化が融合する群馬県の『太田市』に本社を構えます!
そして、すぐお隣は、『宿命のライバル』でもある栃木県の『足利市』。。。
宿命のライバル? それはなぜかと言いますと、
『太田』と『足利』の両市をそれぞれ『新田義貞』と『足利尊氏』になぞらえて、
お互いをライバル関係に見立てることがよくあるからなのです!
しかしながら、両市が『歴史の街』としての全国での知名度で勝負しますと、
十中八九、足利に軍配が上がります ほぼ間違いなく。。。
かの有名な『足利学校』がありますので。。。
そんな勝負はさておきまして、
ここで、両市の歴史のルーツを簡単に探ってみましょうか!
先ずは、時は平安時代。。。
清和天皇を祖とする 『清和源氏※』 の流れを汲む源義家(八幡太郎)が都での失敗の罰として、
下野国足利に居を構えます。
※清和源氏
皇族が臣下の籍に降りる際に「源」の賜姓を受けたもので、
清和天皇から分かれた源氏。
嵯峨天皇の子に源姓が与えられたのが最初の源氏。
【次回以降の投稿で重要ポイントになりますので・・・必ず押さえておいて下さい。】
義家の子・義国の長男(庶子)・義重が『上野国新田庄(太田市新田)』で『新田氏』を、
次男・義康が『下野国足利庄(足利市)』で『足利氏』を称します。
その時に、義康は、現在の『鑁阿寺(ばんなじ)※』の位置に、堀と土手を築いて邸宅を構えます。
※鑁阿寺(ばんなじ)
1196年に、足利義康の子・義兼が邸宅内に持仏堂を建立、大日如来を祀ったのが始まりとされている。
日本100名城の一つで、市民からは『大日さま』と呼ばれ親しまれている。
2013年に、本堂が国宝建造物に指定される。
その後、新田氏、足利氏ともに八代目で『新田義貞』、『足利尊氏』を輩出しまして、
二者の中央での活躍については、周知の通りになります。
次回以降のパート2の投稿では、下記のサブタイトルでお送りする予定ですので、
歴史好きの方、ぜひともお待ちしております!!
☆ 足利尊氏の出生について
☆ 新田義貞の出生について
☆ 新田氏の史跡の見所は?
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